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【アラベスク】  第11章 彼岸の空



第3節 湖面の細波 [16]




 自分が美鶴を変えてしまった。美鶴をこれ以上捻くれた人間にはしたくない。だから美鶴には会うな。
 以前にもそう言われた。だが、里奈にとって美鶴は何にも勝る大切な存在。そうそう簡単には忘れられない。
「会うくらい、いいじゃない」
 精一杯の反抗も、聡によって一蹴される。
「ダメだっ!」
 何でよぉ。
 里奈の頬を、涙が一筋流れる。
 そんな表情が聡の怒りを誘う。
「泣けばいいってモンでもねぇだろっ!」
 泣きたくて泣いてるワケじゃないよう。
 無言のまましゃくりあげる里奈に、聡は唇を噛み締めた。
「これだから女は嫌いだよ」
 私は金本くんが嫌いだよ。
 両手で口を覆い、必死に声を押し殺そうとする里奈にうんざりとした様子の聡はペットボトルを飲み干し、コンビニのゴミ箱へ放り投げた。
 美鶴の家へ向かう道すがら飲もうと思っていたのに、予想外に興奮する出来事に遭遇して飲みきってしまったではないか。携帯に連絡しても美鶴は無反応だし、瑠駆真は放課と共に姿を消したし、聡の胸の内には焦りだけが募る。
 瑠駆真はきっと、廿楽家の人間ってヤツらに拉致連行されたんだろうな。
 どうすんだよ、瑠駆真。アイツ、廿楽華恩に喧嘩なんか売って、どうするつもりだ? 美鶴は知ってるのか?
 あぁ、イライラする。何がどうなってるんだ? さっぱりわかんねぇっ!
 聡はダンッと右足で地面を叩き、ビクリと肩を震わせる里奈を一瞥して背を向けた。そうして低く唸る。
「美鶴には、絶対に会うなよ」
 まるで脅すかのような捨て台詞と共に去っていく聡。その後ろ姿に、里奈はしゃくりあげながら涙を拭った。
 なによっ! 金本くんに何の権利があるって言うのよ。だから大っ嫌いなのよっ!
 その時コンビニの自動扉が開き、同室の少女が暢気(のんき)に店からフラリと姿を現した。





 手洗いから戻ると、ツバサは展望スペースから湖を見下ろしていた。レストランの駐車場に隣接した場所で、コイン式の望遠鏡もある。コインを入れても実際に見えるのかどうか怪しい少し錆びた望遠鏡の横で、ツバサは風を受けていた。美鶴は一瞬躊躇ったが、結局はその横に並んだ。
「何か、すごい話だったね」
「…… うん」
 お互い顔を見合わせず、琵琶湖を見下ろしたまま会話する。
「鈴さんが亡くなったんだから、何かあったんだろうとは思ってたけど、あんな事が起こってたなんて、全然知らなかった」
「うん」
「外に全く漏れないってのもすごいよね」
「うん」
「そんな学校に通ってるなんて、なんか信じられない」
「うん」
 そうだ。自分はそういう学校に通っているのだ。生徒の自殺をもみ消し、自分を自宅謹慎に追い込む学校。
 織笠鈴は父子二人の家族だった。父親は学校の態度に異議は唱えなかった。何が起こったのか、事の真相をどこまで知らされたのかはわからない。だが、これも智論が噂で聞いた話だが、父親は学校や他の生徒の言動よりも、なぜ唐渓などに娘を通わせたのかと、自分を責めていたらしい。
 なぜ織笠鈴は、唐渓などに通ったのだろうか?
 このような学校だと知っていたら、入学はしなかったのだろうか? 自分も、知っていたらやはり入学はしなかっただろうか?
 里奈は、知っていたから進学を拒否したのだろうか?
 脳裏に浮かんだクリクリとした無邪気な瞳を振り払うように、視線を落す。そんな美鶴にツバサがポツリと呟く。
「みんな、辛かったんだろうな」
 見上げると、ツバサも少し、視線を落としている。
 琵琶湖の手前、比叡山の麓に広がる人々の生活。それらを眺めながらツバサは独り言のように口を開く。
「私さ、小さい頃はお兄ちゃんが嫌いだった」
「は?」
 滋賀なんて所へ足を伸ばしてまで居場所を知りたいを思う兄の事が、嫌いだった?
 行動と発言がちくはぐで理解できない美鶴に、ツバサは笑う。自嘲しているかのように笑う。
「何をやっても、お兄ちゃんには敵わなかった」

「女の子が産まれたら天使(てんし)ちゃんって呼ぶのが、ママの夢だったの」

 小さい頃からそう聞かされて育った。聖翼人(えんじぇる)という名前も、母が決めた。十代の学生の頃から、結婚して女の子が産まれたら付けるのだと、決めていたのだそうだ。







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